なぜ、紙のお金に価値があるのか?

2015年11月27日 通貨

なぜ、紙のお金に価値があるのかご存知だろうか?
そんなことはもう知っているという方には素晴らしいと言いたい。そして、ぜひ他の人にも教えて欲しい。

よくあるのはみんなが価値があると思っているから価値があるという説明だ。しかし、これではなぜみんなが価値があると思っているかという部分が不明だ。なぜ、みんなが価値があると思っているのか?という疑問が出てくる。

日本は沖縄から北海道あたりまでが同じ日本人という認識がある。言葉も同じだし、人種的にもほぼ同じだ。日本列島には共に助け合ってい生きていく仲間意識がある。苦楽を共にしてお互いに助けあって生きていく最大の単位が国家ということになる。

政府は困った人がいれば他の国民に助けるように命じる。命じると書いたがこれは同じ共同体に生きる仲間としての義務だ。自分たちで代表を選び法律を作って行政を行う。台風で橋が流されれば動員をかけて橋の架け替えを行い、貧しい老人がいれば食事を運ばせる。これも同じ国民だからこそできることだ。

これら義務から逃れることはできない。家族を養うのと同様に同じ仲間を想い、助け合うことが求められるからだ。

これらの義務を果たした国民には政府は証明書を発行する。これがお金だ。次に労役などの義務が課されることになったとしても、この証明書を渡せば一回キャンセルすることができる。10枚あれば10回キャンセルできる。公役は健康な国民になら誰にでも回ってくるし逃れることはできないものだ。また、同じ仲間として果たすべき役割なのだが、もし、キャンセルすることができるなら誰しもそうしたい。

こうして、ただの紙切れに価値がでることになる。労役をパスすることができる紙。紙幣による経済も容易にまわりだすことになる。国民に紙幣が行き渡ると、労役はほぼすべて紙幣によるキャンセルに置き換わることになる。これが税金だ。

お金というのは国家が課す税によってその価値が担保されている。お金に価値があるので、そこに目をつけた政府がかすめとっているわけではない。国民の総意で作られた政府の権力(徴税権)がお金の本質なのだ。

もちろん、プロセスなどは歴史的な事実とは全く異なるので、単なるつくり話なのだが、国家と通貨の構造を説明している。

政府にとってお金は価値あるものでもなんでもない。自分で勝手に印刷して使うことができるのだから。

歴史的には西南戦争で明治政府が通貨を発行しすぎてインフレになった。物価があがったわけだが、これを機に通貨発行権を日銀にうつしてしまった。いくらでも発行できるとなると、財政規律がたるんでしまって政治がダメになることを防ぐためだ。でも、言い換えると物価が上がらなければ問題はないということになる。

現在の財政赤字にはじまる様々な問題は、お金の本質を理解していないことから始まっている。財政難だから医療費の自己負担が上がる。財政難だから年金の支給水準が低い。財政難だから消費税を上げる。財政難だから・・と色々ある。お金が無いと思い込んでいることによる悲劇だ。

問題は物価だ。

過激なインフレにさえならなければ財政赤字は気にする必要はない。その気になれば印刷して返せば済む話である。日銀(政府)にはその力がある。問題の物価はむしろ低すぎて逆に問題になっている。デフレだ。

というわけで、お金は税金をとられることで価値がでるとわかったところで、下のボタンを押してつかあさい。

 


金融・投資(全般) ブログランキングへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA