財布の中のリフレ

基本的に日本経済に必要なのは財政支出による需要創出だと考えるが、リフレ派のいうことにも一理あるような気がしている。物価の水準というのはモノとお金の比率で決まるというのはあながち間違いではないと思う。この世に100個の商品と100枚の紙幣しかないとするなら、1個1枚交換レートになるということだ。

アメリカの2015年11月末のマネーストックは12.2兆ドルに対して、円は10月の平均が1227兆円(M3)となっている。円の量はドルのほぼ100倍で12月7日現在の1ドル123円とは若干のずれがあるが、為替の水準とマネーストックの比率はそこまで外していないと感じる。

リフレ派は色々と怪しい論を展開して、つかみ所のない議論を行うのであまり真剣に取り合いたくはないのだが、このロジックは的を得ている。

物価は所得のうちの何割を食費や家賃などに支払うことが許容できるかによって、決まってくると言えるかもしれない。給料が手取り20万円のサラリーマンが家賃に3割の6万円を支出するとする。アメリカの月給2000ドルのサラリーマンが支払う家賃は600ドルくらいだろうか。

当然、600や6万といった絶対値には意味はなく、問題になるのは所得のうち何割を家賃に割くかということになる。1回1万円の食事を高いと思うか安いと思うかは、自分がいくら持っているかによる。

リフレ派が勘違いしているのは日銀の金庫に入っていても物価が上昇すると思っているところだ。あくまで、財布の中までお金が入ってこそ物価は上昇する。財布まで入ってしまえば自分の持ち金と商品の比較ということになり、リフレ派のいうようなモノの量とお金の量のバランスによって価格が決まると考えられる。

お金があれば遣いたくなるのが人情だろう。財布の中に入って初めて需要がでてくることになる。

 

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