老後が不安でも、財政再建はやってはいけない

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選挙が終わるやいなや、たばこ税の増税や所得税控除の引き下げのニュースが出てきています。また、自民党の公約である、2019年の消費増税による教育無償化などが現実のものとなってきました。テレビや新聞では、財政再建待ったなしの論調で溢れています。政府の財政赤字が地方を合わせて1200兆円を超えているわけですから、通常の感覚なら、少しでも減らすべきだと考えることでしょう。

税収は毎年50兆円そこそこですから、そこからやりくりして10兆円ずつ返したとしても120年はかかるわけです。また、その間には利子も発生するので、実際に返済する額はもっと多くなります。消費税を上げてでも借金を返済すべき、という論が出てくるのも仕方ないと思います。

でも、実はこれって返す必要がない借金なのです。一般的に借金というと必ず返すもの、という思い込みがあります。それはあくまで個人の話であって、企業や政府には当てはまりません。

返さなくていい借金

借金は返すものという思い込みが誰しもあります。私もそうでした。でも、これは個人の場合限定なのです。お金を貸す人の立場になって考えるとわかりますが、貸す側の人は利子を稼ぐために貸すわけです。利子がもらい続けられれば、いつまででも借りてもらいたいし、もし返済されたら新たな借り手を探すでしょう。

もちろん、必要になったときはかえしてもらうわけですが、いつでもすぐに返してもらえるなら、貸しっぱなしでも困ることはありません。

個人に貸す場合は寿命がありますので、死ぬまでに返せる額ということになります。もし、不死身の人がいれば、サラリーマンでも10億くらい借りられるのではないでしょうか。

これが企業や政府になると、ある意味不死身となり、特に政府は永続性が顕著ですので、途方もない額の借り入れも可能になります。もちろん、個々の借金には期限があり、返済は行われますが、返済するお金も借金によって行われます。なので、表面上はいつまでたっても、借金の総額は減らないのです。これは個人なら多重債務になって、即破産への道のりです。

企業は成長するにつれて、借金が多くなる傾向があります。トヨタ自動車は創業以来借金が増え続けて、現在では19兆円の借金があります。政府や大企業の負債というのは増えることはあっても、減ることはまれなのです。

外国との比較

安部政権はプライマリーバランスの黒字化を2020年に予定していました。つまり、支出と収入のバランスを黒字化して、借金返済を始めるのが2020年ということです。

下のグラフは日本の財政赤字を示しています。


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キレイに借金が膨らんでいます。予定では2020年からこのグラフが右肩下がりになるということです。ここで少し他の国と比較してみたいと思います。G20の先進国と比べてみましょう。ざっと眺めるだけで結構です。



















すべて世界経済のネタ帳さんからお借りしました。世界経済のネタ帳さん最高!

あれ?と思いませんか?サウジアラビアを除いてほぼ全て右肩上がりになっています。これは、G20が特殊なのではなく、世界中の国のほとんどで、財政赤字は増えているのです。

世界的に見ると、財政赤字は増えるのが普通であり、減っているところは例外といえるでしょう。歴史的にも建国以来、財政赤字が減っている国はほとんどありません。

安倍さんはこれを2020年から右肩下がりにしようとしているわけですから、どれほど異様なことかご理解いただけるのではないでしょうか。

社会保障費はどこからでるか

今後、長期的な社会保障はどのように負担されるべきでしょうか?

これは、結論からいうと公債、つまり借金によって捻出されるというのが答えになります。G20の政府債務残高からもわかるように、多くの国が公債によって行政を維持しています。

これを将来世代へのツケの先送りという言い方をすることもありますが、政府に貸しているお金はもともと国民のお金です。私たちの祖先も政府にお金を貸していますが、未だに返済はされていません。銀行や生命保険に預けている私たちのお金も、政府に貸し付けられています。おそらく、私たちの子孫も私たちと同じように銀行預金を通じてお金を政府に貸すはずです。

政府は借りたお金によって社会保障や公共事業といった必要な支出を行います。病院やなどに支払われた政府が支出したお金は、紆余曲折を経て再び私たちの預貯金になります。つまり、私たちから借りたお金が政府によって使われて、再び私たちの所へ帰ってくるということを延々続けているのです。

政府の財政赤字を増やしながら私たちの資産を形成していくというこの方法は、歴史的、世界的な標準であり、借金というだけで恐れる必要はありません。むしろ、これは持続可能なシステムであり、将来にわたって私たちの社会保障を維持していくでしょう。

その影響として、物価の上昇が起こります。今、100円位するアイスも、昔は10円で売られていました。昭和のモノの値段が安かったのは、マネーの量がそれだけ変わったことを示しています。今後も物価が上がり続けて、政府債務残高も増えて、私たちの社会保障を維持していくことが理想です。

しかし、現在は世界的な低物価です。つまり、それだけ世界中の政府支出や社会保障の削減といった、弱者を切り捨てる方向に行っていることを示しています。

まとめ

政府の財政赤字は増えるのが普通であり、老後のために財政再建をするのは、ナンセンスというほかありません。G20を見ても財政再建と言っている国など日本くらいのものです。

基本的に行政コストは公債から支出して維持していき、財政赤字は増えていくものです。その結果、物価の上昇が起きます。翻って、政府がきちんと社会保障などの手当てを行っているかを物価をみることで判断できるということです。


選挙公約はここを見とけというはなし。

政治, 社会

選挙演説では政策はわからない。

また、衆議院選挙がありますね。こないだ内閣改造したばっかりなのに、気の早いことです。去年、福岡6区では鳩山邦夫さんが亡くなられて補欠選挙があったので、色んな候補者の演説を見に行きました。

補欠選挙は党の大物が来るんですね。それこそ麻生太郎や小池百合子といった誰でも知ってる政治家が日替わりで来ます。あ、テレビで見たことある!というのが楽しくて5回は行きました。

全国一斉だとこうはいきませんが、補欠選挙だと候補者にこれでもかと党幹部が愛情を注げるというわけです。ただ、その時思ったのは、

「久留米の皆様のために一生懸命頑張ります。」

「鳩山二郎、鳩山二郎をよろしくお願いします。」

という名前の連呼や、がんばりますコールのオンパレードばかりということです。

麻生さんは候補者に政策は一切言うなと、指示してるみたいです。ご本人が演説でおっしゃってましたw一年目で政策なんて出来やしないから、というのがその理由らしいです。公衆の面前でよく言うなという感じですが。

これでは政策的なことは、全くわかりません。やはり、党のサイトで公約を確認する必要があります。

公約のここを見る

私が公約を見るときは、全体的な税負担と政府支出のバランスを見ます。個々の政策ではなく、トータルで気前がいいのか悪いのかというところです。

自民党は消費税増税の使い道について、私立高校の無償化や全世代型の社会保障の充実をやります!と主張しています。まあ、払った人に戻るというだけですよね。

希望の党は消費税増税は凍結して企業の内部留保に課税すると言っています。内部留保に課税するくらいなら、法人税を上げれば良いような気もしますが。

これらは全部、枝葉に過ぎません。大切なのは全体としてのお金の使い方なのです。消費税を上げて私立高校を無償化するのと、消費税増税は凍結するけど、内部留保に課税するのはどちらがより良いのか?

はっきりいって比べようがありません。個々の政策を散発的に並べても、全体の収支が見通せないからです。全体の予算をどう考えているかが重要なのです。税金をどのくらいとって、どのくらいの支出を予定しているか?です。

自民党は歳出削減に血道を上げており、2020年までにプライマリーバランスを黒字にすると宣言していました。最近少し路線変更したようですが。そして、消費税増税をするので、全体としては支出を減らしつつ、増税ということになります。

これでは国民は貧困化しますね。税金を多くとられて、再分配はほどほどにというわけですから。経済政策だけでいうなら、自民党には入れられません。

希望の党は、財政出動に頼らない経済運営をすると、はっきり公約に掲げています。消費税増税は凍結と言ってますのが、あくまで凍結ですので、いつ解凍されるかはわかりません。また、内部留保に課税するので、全体としては緊縮財政と増税のペアということになります。これは自民党と同じですね。

経済政策は落第です。

いくら待機児童ゼロとか言ったところで、財布の中身は減りますよということです。これはイヤですよね。歳出削減と増税のコンビネーションは私はイヤです。イヤイヤです。

第三極となった立憲民主党は、農業者戸別所得補償制度の法制化や自治体への一括交付金の復活といったことしかわかりませんが、これだけを見れば支出を増やすようにも思えますし、共産党と連携してきているので、そんなに緊縮はやらないと想像します。

というように、全体的な税負担と政府支出のバランスがどうなるのか?を注意して見るようにしてみて下さい。

公約の羅列をジーっと見ても、どこがいいのかはわかりませんので。今回は比例は立憲民主党、小選挙区は共産党にしようかと思います。


日本はまだ経済成長できるのか?

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古い経済発展のイメージ

第二次世界大戦後、日本は高度経済成長をしました。昭和40年代初めは、3Cと言われたカラーテレビ(Color TV)、車(Car)、クーラー(Cooler)が豊かさの象徴として家庭に普及していった時代です。

東京オリンピックを境に日本は急激に経済的な発展を遂げます。その頃は新幹線や高速自動車網といった、インフラの発展も目覚しいものがありました。こういったイメージがあるせいか、日本はこれ以上発展しないのではないか、と感じる人も少なくありません。

戦後の焼け野が原から、綺麗な建物が立ち並ぶ町並みや、整備された道路へ発展するには伸び代があるように思われます。しかし、今の日本から更に発展するとなると、なかなかイメージが湧き難いからです。

確かにモノは十分にあり、生活に困ることはないかもしれません。これ以上発展しなくても良い、と考える人もいるでしょう。

しかし、一方で豊かな国であるはずの日本に、貧困の問題がでてきています。所得の低い人にとっては日本が豊かであるというのは、どこか別の世界の話であるように感じるかもしれません。

貧困問題は経済発展のチャンス

所得の低い人たちがいるとういうことは、それだけ日本には経済発展する余地がある、ということでもあります。所得が低いばっかりに諦めている住宅や教育の機会など、それだけ経済発展の可能性があるからです。

そのためには労働者の4割を占める非正規雇用という働き方に、政府が真剣に取り組む必要があります。最低賃金を上げるだけにとどまらず、雇用形態や労働分配率の改善といった取り組みが必要です。不足しているところにお金を還流させることで、より日本を豊かにしていくことができます。

高度成長期はよくストライキがありました。小学校の先生なども賃上げ要求して、授業をボイコットしたりしていました。今の世の中でそこまでするのは難しいですが、昭和の労働者はしたたかで、明るさがあったように思います。労使の力関係も今のままで良いのか、考えていく必要があります。

災害対策やインフラへの投資が必要

また、最近は地震や台風、水害といった自然災害が多く発生しています。台風が日本列島を通過すると必ずと言っていいほど亡くなる方がいます。河川の洪水対策や建物の耐震化などは、まだまだ始まったばかりであり、やろうと思えば山のように仕事はあります。

インフラのバージョンアップというのは今からの課題です。ようやく実現したリニアの普及や、車の渋滞問題も解消しなければなりません。

休みの日にどこか行こうと思っても、思いのほか渋滞がひどくて、時間ばかり経ってしまうことがあります。これもインフラの投資不足が原因であり、スムーズに車が流れればそれだけ経済効果も高まります。被災者ゼロ、渋滞ゼロ、を目指してより質の高い社会資本整備を行う必要があります。

2016年はヴァーチャルリアリティ元年だそうです。また、AIやロボットといった、新たな産業が芽吹き始めています。自動車の自動運転もかなりのレベルまできており、東京オリンピックでは自動運転のタクシーを導入すると政府は公言しています。

社会資本整備や新しい分野の経済成長は今からです。高度成長期の数倍、数十倍のポテンシャルを秘めている。そう考えても間違いなさそうです。


そもそも経済とは

マクロ経済, 政治, 社会

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国家と経済

経済を考えるときに、どうしても避けては通れない要素がお金です。お金はどこからやってくるのか?お金になぜ価値があるのか?

こういった基本的な部分を抜きに、経済を考えようとしてもうまく考えがまとまりません。経済を考えるには事前にお金の本質を理解しておこう、ということです。お金のことを理解するにはまず、日本という国を理解する必要があります。国家とはなんでしょうか?

Wikipediaによるとつぎのようにあります。

国家(こっか)とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。 領域と人民に対して排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体である。

国家とは政治的共同体とあります。共同体というのはお互いの利害を共にして助け合う集団です。

地震などの災害が起これば被災した人を助け、歳をとって働けなくなれば年金を給付して生活を支えます。助け合うのは共同体の一員としての義務であり、また自分が困った状態になったときには助けてもらえるということでもあります。

共同体全体の利害調整を行うのが政府です。政府が音頭をとりながら、インフラ整備や治安維持といった行政サービスを行います。

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お互いに助け合うのが共同体ですが、ボランティアのように緩いものではありません。国によっては徴兵制があり、逃げたりすると重い罪に問われます。

みんなで必死に国を支えているのに、一人だけ逃げられたらたまりません。国家というのはある意味、血の掟で繋がった共同体とも言えます。

共同体に属する以上、公共的な仕事は全員の役目なのですが、政府は1つのルールを決めました。

それは、政府が発行する券を渡せば、公共の仕事をキャンセルできるというものです。この券は公共の仕事をした人に対して対価として渡されます。

ある程度、公共の仕事をすれば、それ以上はその券を使用することで減免されることになります。大量に持っていれば一切公共の仕事をする必要はありません。この券が紙幣です。

2年間の兵役もしくは100万のどちらかを、政府に求められるとしたらいかがでしょうか。徴兵制をお金で回避するのは倫理的に問題がありますが、お金の本質を表しています。

紙幣のもつ価値というのは、元をたどると共同体の一員としての義務を回避できるところにあります。公共の仕事の代わりにお金を支払って、国民の義務を果たすのが税金です。

公のために汗を流すのは尊いことですが、できれば休みたいのが人情です。公共の仕事以外に本業もあるので、みんなそれなりに忙しいはずです。本業が農業なら、生産した野菜と紙幣を交換する人もでてくるでしょう。本業に集中して、公共の義務は税金で支払うことが一般的になっていきます。

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政府はお金を発行しつつ、徴税によってお金を回収することで、国内経済を成立させています。通貨発行権と徴税権2つセットで行使することで、紙幣による経済が動き出すわけです。

政府が通貨発行すると説明しましたが、厳密には日本銀行が通貨発行や税金の管理を行っています。お札に日本銀行券と書いてあるのはそのためです。

政府支出と税収

政府は毎年、税金を徴収して予算を組んで支出します。基本的に税収より支出が多くなるように、毎年予算を組みます。もし、支出より税収が多いと、世の中から通貨が無くなることになります。政府は日本で唯一の通貨発行主体ですので、支出よりも税収が多ければ、いつか世の中からお金は無くなります。

単年度では支出<税収となることもありますが、基本的には支出>税収になります。このあたりが一般の家庭や企業と異なるところです。サラリーマン家庭が支出>収入といったバランスで生計を立てるのは不可能です。政府は不足額を通貨発行によって賄っており、その額は毎年10兆円を越えています。

実際には日銀が通貨発行を行っていますので、政府は国債を発行して日銀の用意した通貨と交換することで現金を調達します。これを日銀による直接引き受けといい、政府は通貨を得て日銀は国債を保有することになります。直接引き受けを財政ファイナンスと言ったりすることもあります。

政府は支出>税収を達成するために日銀による通貨発行と、市中の金融機関からの借り入れによって賄っています。

鋭い方はこう思うでしょう。

ある程度世の中にお金が回り始めたら、あとは支出と税収は同じくらいで良いのではないか?

確かにそんな気もしますが、以下の理由で出来ないようになっています。

経済活動を継続していくと資産が増える人、減る人、変わらない人がでてきます。国民全員が同額の資産を所有していれば、頭割りで徴税すればよいのですが、経済活動を続けるにつれて差がついていくので、中には支払えなくなる人がでてきます。

毎年、一定額の予算を執行するなら、払えない人の分はたくさん資産を保有している人に負担してもらわなくてはなりません。税金は平等に徴収するべきだ、とするなら政府の税収は徐々に減ることになります。支出=税収という前提であるなら、税収が減れば支出も減らさざるをえません。

政府の支出が減ると行政サービスが滞ることになるので、国民生活の質の低下を招くことになります。

そうはいっても支払えない人の分の税金まで、たくさん持っているがすべて負担するというのもおかしな話です。以上のことから支出=税収にしようとすると、お金持ちに重税がかかるか、行政サービスが貧弱になってしまうという問題がでてきます。

行政サービスの質を落とさずに、平等に徴税するにはどうしたらいいでしょうか?

答えは支出>税収にしてしまうことです。不足する予算は日銀による通貨発行で穴埋めします。毎年、世の中に出て行くお金が増えますので、徐々にインフレになります。インフレというと悪者のように思われがちですが、国民経済を成立させる一つの知恵です。

そしてインフレに

昔は大卒の初任給が1万円だった時代もあり、徐々にインフレが進んで今の水準になりました。税負担の平等性を考慮しつつ行政サービスを維持していくなら、今後もインフレが進んでいくことになります。

物価が上昇すると相対的にお金の価値が下がることになるので、お金を大量に持っている人にとっては好ましいことではありません。平等な徴税と行政サービス維持のために通貨発行を行いましたが、実はインフレはお金を持っている人にとっては負担なのです。実質的に税金を払っているのと変わらないために、インフレ税と言われています。

財政政策は、このインフレと税負担の公平性、行政サービスレベルのバランスをいかにとるかということが言えます。

行政サービスレベルが十分でインフレが進んでいれば富裕層にとって負担になりますので、税金を公平に徴収しつつ、財政支出を減らすことによって物価上昇率を下げる必要があるかもしれません。行政サービスの質が低く物価上昇率が低ければ、通貨発行によって政府支出を増やすか、富裕層の負担を増やす必要があるかもしれません。

難しいのはバランスの取り方に正解がないということです。インフレと行政サービスレベルと税の公平性は密接に関連していますが、これといった正解はないのです。3つのバランスはどのような世の中を私たちが望むか、政治的に決まることになります。


国債は暴落するか?

マクロ経済, 国内, 社会

国債とは

国債が暴落するという本が本屋さんにあり、心配している方もいらっしゃるかと思います。結論から言えばファンタジークラスのことが起こらなければ、理屈からいって起こることはありません。理屈を説明する前に国債について少し触れておきたいと思います。

国債というのは、政府がお金を借りるときの借用証書です。政府は税収で行政を行っていますが、足りない部分は国債を発行してお金を借りています。平成29年度の一般会計では73兆円の支出のうち、10兆円が国債で補填されました。

国債は主に銀行や生命保険といった金融機関が購入しています。購入すると言ってもお金を政府に貸しているということです。金融機関が国債を買うときのお金は私たちの預貯金や保険の掛金です。

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預貯金や保険料は利子をつけて返さないといけないので、銀行や生保にとっては負債になります。利子をつけて返すには住宅ローンや企業向け融資といったもので、金利を稼ぐ必要がありますが、適当な貸出先が見当たらない場合、銀行や生保は国債で運用します。

本来なら3、4%くらいで企業などに貸したいところですが、デフレの経済環境の中で借りてくれるところが無いために、国債を買わざるを得ないというのが現状です。個人や企業に貸すと返ってこなくなる可能性もあるのですが、政府はほぼそういった心配がありません。

国債は誰が持っているのか

以上のような理由で、銀行や生命保険は国債を持たざるを得ない状況にあるということを踏まえて下の図をご覧ください。

財務省HPより

これは今までに発行された国債を誰が持っているかの内訳です(2017年6月末)。1084兆円のうち436兆円を日銀が保有しています。以前はこんなに大量に国債は保有していませんでしたが、アベノミクスの第一の矢である金融緩和でお金を市場に流したために大量の国債を保有することになりました。

国債が暴落するとしたら、誰かが投げ売りをしてくると考えられますが、日銀が投げ売りをしてくることはまずないでしょう。日銀が政府に反旗をひるがえして投げ売りにでるのは、九州が日本から独立するくらいの確立です。

二番目に多いのが国内の金融機関です。投げ売りたくても投げうる理由がありません。政府が貸し倒れになる可能性は低く、他に適当な預貯金の運用先もなければ売る理由がないからです。その次に多いのが公的年金と年金基金が77兆円持っています。公的年金が国債を投げ売りすることも、ちょっと考えられません。

あとは海外が117兆円分もっていますが、これはどうでしょうか?もしかしたら投げ売りを仕掛けてくるかもしれません。

国債が投げ売りにあったら

可能性は低いですが、万が一海外が投げ売りをしてくれば、国内金融機関が我先に買うでしょう。日本国内に出回っている国債は不足気味ですので、銀行や生保が喜んで買う可能性大です。

もし、それでも足りなければ政府が日銀に買わせることも可能です。すでに436兆円もっていますが、あと117兆を買い取ることは不可能ではありません。買い取る時のお金の出所は税金ではありません。日銀が新たに発行したお金です。その意味では制限なく素早くに買い取ることも可能です。

安倍政権は量的緩和を行っており、日銀が金融機関から国債を大量に買っています。年間80兆円ペースで国債を買い集めており、海外の保有者が全部売ったとしても、日銀が一年ちょっとで買い取れる金額です。日銀が量的緩和で国債を買っているので、国内は国債不足にすらなりつつあります。

また、仮に外国人が国債を売ったとしても、売って手に入れたお金はどこにいくのでしょうか?両替してドルにするかもしれません。両替をして円を受け取ったであろう金融機関は、両替した円をどこかに貸出すなり使うなりする必要があります。

タンス預金でもすれば別ですが、兆単位のお金は口座に入れて管理するはずです。銀行に預けるのであれば再び国債の原資になります。銀行に預けられたお金は運用難で国債を買うからです。国債を売ったお金は巡り巡って国債に向かうのです。

というわけで、日本円はどうあがいても再び国債を買う運命にあるということが言えます。銀行の口座に入るということは、そのまま国債購入に充てられるからです。

保有者の構成や保有している理由を考えると、投げ売りにあうというシナリオは、極めて起こりにくいということが言えそうです。


構造改革とは何か?

政治, 社会

2000年代前半に小泉総理大臣が言っていた「構造改革なくして経済成長なし」という台詞を覚えていらっしゃるでしょうか。

構造改革とは具体的にどういうことを指すのでしょう。もともとはイタリア共産党の政治家が発言したのが始まりらしいのですが、日本で言われる構造改革は当時のものとは意味を変えて使われています。

現在の自民公明連立与党が行っている構造改革というのは、自由貿易、規制緩和、民営化の三つに分けることができます。

自由貿易

一般的に輸入品には関税がかけられて、国内の同一の製品に比べて割高になる傾向があります。関税には国内の産業を保護する目的がありますが、この関税を無くしてお互いに貿易を推進するのが自由貿易です。

食品の安全性に関する基準や医薬品の規制など、関税ではないけど国内の法律によって、輸入規制されているものもあります。これを非関税障壁といいます。そういった国内の非関税障壁を緩和してより貿易の拡大を図ろうとするのがTPPです。

規制緩和

2つ目の規制緩和は国内の様々な規制を緩和するということです。TPPの非関税障壁とも繋がる話ですが、電力の新規参入を行えるように法律を改正するなど、企業がより市場参入しやすい環境をつくりだして、企業のビジネスチャンスを増やすことができます。

また、国家戦略特区では地域限定で規制や税制を改革し、その効果を調べています。この国家戦略特区には,全国で6地域が指定されており、福岡市もそのひとつです。

天神や博多駅などの空港に近いエリアにおいては,航空機の安全な離着陸のために,航空法によって,建てられる建物の高さに制限がかかっています。従来76mの高さだったのを115mまで緩和して民間企業を呼び込もうとしています。

特区で試験的にその効果を確認して、結果次第では日本全体に拡大していきます。

民営化

最後に民営化です。郵便局や道路公団の民営化など、国や自治体が行っている事業を民営企業が行うことです。規制緩和と民営化は市場に参入する企業が増えることで消費者は選択肢が広がって、市場が活性化するねらいがあります。

構造改革というのは民間できることは民間にまかせて政府はできる限り経済活動に参加しないということが言えます。よく言われる小さい政府を目指すというのが構造改革ということです。

これはアベノミクスの第三の矢の成長戦略にもなっています。

構造改革の問題点

自由貿易でより多くの財やサービスが日本国内に輸入されれば、国内産業のバランスをとるのが難しくなります。安いからといって食料をすべて輸入に頼るのは、もしものときに食料が手に入らなくなったり、安全性のリスクがありますので、どこまで市場を開放するかは加減が難しいという問題があります。

適度な競争は進歩をもたらしますが、過剰な競争は企業に負担を強いることになり、無理なコストの圧縮やそれに伴う事故なども問題視されています。2016年に軽井沢スキーバスの事故により16人が亡くなる事故がありました。バス事業参入への規制緩和の影響や、人手不足による高齢者の深夜運転などが原因ではないかとも言われています。


日本の財政を考える

政治, 為替, 社会, 通貨
規模の感覚をつかもう

私たちは消費税をはじめ、所得税や固定資産税など、様々な場面で税金を納めています。国民はどのくらい税金を納めて、国はどういったことに支出しているのでしょうか?

全体的な収入と支出のバランスを見ていただきたいと思います。ここではざっくりと、あえて兆単位以下は四捨五入しました。

これは一般会計と呼ばれるもので、29年度の予算の内訳です。毎年、国会で予算編成が行われるのがこの一般会計です。支出の中でも飛び抜けているのが、社会保障費の32兆円です。高齢化により、医療費、介護、年金の支出が多いためです。

1980年代は65歳以上は10人に1人もいませんでしたが、2017年現在、4人に1人が65歳以上です。まさに高齢化社会です。今後は更に高齢者は増え続けて、2050年には2人に1人が65歳以上の高齢者になると予想されています。

消費税は所得税の次に大きな税収になっており、17兆円もあります。8%にあげる前は約10兆円でしたので、消費税増税によってそれなりに増収になりました。しかし、国民の貧困化が進行しており、これ以上の増税は経済に悪影響を及ぼすでしょう。

収入で34兆円の借金をしつつ支出では24兆円の借金を返済しています。国債の利子の支払いや、新たな借り換えによるものです。返済よりも借りるほうが大きくなっています。国と地方を合わせると1200兆円の借金があるというのは、この部分に原因があるためです。予定通りいけば、今年は32兆円-24兆円=10兆円の借金が増えます。

このように、ざっくりと見ることで、全体的な感覚がつかみやすいかと思います。限られた税収の中から予算は組まれていますが、一般会計のほかに政府は特別会計という別の財布を持っています。

真の埋蔵金「特別会計」

特別会計という言葉は、聞かれたことはあると思います。本来は見通しをよくするために一般会計ですべてを管理をするのが理想ですが、事業の性質によっては混ぜないほうが良いものもあります。その中のひとつに外国為替資金特別会計というものがあります。

「実は、2017年度予算案では、外国為替資金特別会計(以下、外為特会)の運用益(俗に言われる「埋蔵金」の1つ)の全額を一般会計のその他収入に繰り入れた。」
時事通信より

特別会計は全部で14個あり、外国為替資金特別会計(外為特会)はそのひとつです。日本政府は行きすぎた円高を是正するために、為替介入を行ってきました。

政府は日銀から円を借りてきて、為替市場でドルに交換することで円安に誘導しました。結果、手元にはドルが残ったわけですが、そのドルを管理しているのが外為特会です。最後に為替介入を行ったのは2011年になります。

残高は全て外貨(主にドル)です。2016年3月末の時点で144兆円あり、そのうち120兆円はアメリカ国債で運用していす。

外為特会のお金はどこから出たものか

144兆円もの残高のある外為特会ですが、これは税金をコツコツ貯めたものではありません。原資は政府が日銀から借りてきたものです。日銀は政府が管理する認可法人ですので、事実上は政府の機関といっても差し支えありません。

つまり、政府は何もないところから144兆円ものお金を作り出して、ドルに交換したことになります。外為特会はまさに埋蔵金なわけですが、そもそも政府が何もないところから、それだけのお金を作り出せるということがポイントです。通貨発行権は国家にだけ認められた大きな権力です。ニセ札作りが重い罪に問われるのはこのためです。

外為特会の残高はアメリカ国債で運用されていて、年に2~3兆円くらいの利子が入っています。時事通信の記事は2017年度は、その全てを一般会計に繰り入れたとあります。

まさに打出の小槌ですね。年金削減や消費税増税の議論がある一方で、あるところにはあるものです。利子だけでなく、元本を使っても構いません。毎年20兆円ずつ使えば、消費税分以上の支出が可能ですし、なくなればまた通貨発行すればすむ話です。

注意しなければならないのは、政府支出による物価の上昇です。とはいうもののデフレの今、もっと大胆に使っても良いのではないでしょうか。少なくとも消費税増税は、今のところ必要なさそうです。


あまり知られていない、本当の経済的豊かさとは。

マクロ経済, 社会

本当の経済的な豊かさとは?

経済的に豊かであるとはよく聞くフレーズですよね。

しかし、経済的豊かさとはどういうことでしょうか。

バリバリ働いて給料をたくさんもらったり、大きな金融資産を持っているのも確かに経済力のある人ではあるのですが、厳密に言うと経済的に豊かであるというのとは少し違います。

日本ではスーパーに行けばいろんな食材がすぐに手に入ります。

コンビニも24時間開いていて、いつでも欲しいものが手に入ります。

アフリカの奥地だとこうはいきません。

1億円持っていても、南極のど真ん中では餓えと寒さで死んでしまうかもしれません。

経済的豊かさというのは、お金を持っているということではなく、欲しいときに欲しい物がすぐ手に入ることを言います。

お金を持っていれば欲しい物がいつでも手に入りそうですが、アフリカの奥地や南極ではそうはいきなせんよね。つまり、アフリカの奥地や南極は経済的には貧しい地域なのです。

日本も戦後ものがない時期がありました。お金を出しても、甘いお菓子などはあまりありませんでした。戦後の日本は貧しかったということです。

まずは財やサービスが国内に十分に供給されていることが必要です。この供給力こそが経済力ということになります。

経済的に豊かになるためには?

では、経済的に豊かになるためにはどうしたらいいでしょう?

そうです。働いて財やサービスを作り出せばいいのです。

食べ物、衣類、住居、インテリア、車、家電、医療、教育、通信、エネルギーといったモノやサービスが、豊富に提供されていることが日本が経済大国と言われる理由です。

工場や商店が多い町は、多くのモノやサービスを生産しており、経済的に豊かです。

また、田んぼや畑があって農業生産物が採れる地域も、経済的に豊かであると言えるでしょう。

宝くじが当たってリタイヤするというのは、経済的に豊かになったような感じがします。

しかし、日本全体で見るとそれだけ働く人が減るので、むしろ経済的な損失となります。

本当の豊かさは、紙のお金をもっているという意味とは少し違います。

経済的に豊かになるには働くしかありません。

誰かが浄水場を作って水道管を引くことで、はじめて蛇口から水が出るようになります。

田んぼを耕して種をまいて収穫することで、食料が手に入るのです。

賃金の発生しない家事も立派な労働になります。

食事の準備や掃除など、人が生きるために必要な労働を行っているからです。

家事サービスですね。家政婦さんに来て貰えばお金がかかりますよね。

アフリカのような内戦で政治的に安定しない地域は、安心して働くことができないため、常にモノやサービスが不足しています。

貧しい国が貧しい理由は、働くことができないことや、働くための技術や知識が不足しているためです。

また、投資不足による働くための環境が整っていないことに起因します。

いずれにせよ、経済的に貧しい国は何らかの理由で労働が不足して、その結果供給が足りていないのです。

アフリカでは設備の整った病院は都市部にしか無く、いつも患者であふれています。

医薬品も不足しており、輸血するにもHIVやマラリアといった感染症にかかる危険があります。

そのためアフリカの富裕層は手術などの必要がある場合、欧米などの先進国で治療をうけています。

いくらお金があっても、売っていないものは買えないのです。

お金を出しても医療サービスが買えなければ経済的に豊かであるとは言えません。


消費税増税が不要なただ一つの理由

マクロ経済, 物価, 社会, 通貨

本当に消費増税は必要か?

消費税はできることなら上げてほしくないものです。でも、将来的に社会保障などが成り立たなくなるとすれば致し方ない、と考える人がほとんどではないでしょうか。

問題は本当に“将来的に問題がないのか、それともこのままいけば本当に立ち行かなくなるのかがよくわからない”というところだと思います。そうです、よくわからないのです。

テレビで見たことのあるコメンテーターが「消費税増税は必要です」と言っていると、「ああ、そうかも」となりがちですが、それはコメンテーターの意見であって、本当に必要かどうかはわかりません。

おそらく、このブログを見ている方で日本年金機構のサイトを訪れて、財務状況を確認したことのある人はほとんでいないのではないかと思います。あるいは、現在の消費税の使われ方を財務省の資料等で追いかけて調べた人もいないでしょう。

財政赤字は1200兆円をこえていて、新聞などでは消費税増税は待ったなしといった報道もあり、消費税増税はしょうがないと思っている人も多いと思います。

しかしまってください。

新聞が必ずしも正しいと限らないし、実際に自分の目で社会保障関連のデータを見たわけでもないのに不安になって消費税増税を受け入れてしまったり、あるいはむやみに消費税増税に反対していいのでしょうか。増税するにしても減税するにしても何かしらの根拠をもって決めたいですよね。それは新聞やテレビで言っていたからというものではありません。

結論から言うと日本の物価上昇率が低いから消費税増税は必要ない、ということになります。なんだそれは?と思われたでしょう。順番に説明していきますので興味のある方はそのままお読みください。

これから、少々頭の体操をしていただきます。落ち着いて考えればわかる話ですので、心配されなくて大丈夫です。

お金の本質がポイント

消費税や社会保障費、財政赤字などすべてお金の話です。

消費税が本当に必要かどうかはお金の本質と関係があります。お金とはなんでしょうか?また、お金は紙やアルミ、銅、ニッケルで出来ているのに、なぜ価値があるのでしょうか?

紙幣は日本銀行が発行しています。日本銀行は政府が55%の株式を持っていて、政府の子会社です。また、普通の株式会社は株主総会によって社長が決まりますが、日銀総裁は政府の人事案をもとに衆参両議会の同意を得て任命されています。なので、日本銀行が発行しているとはいっても、実質的には国が管理しているわけです。

日銀が通貨を発行するのはわかりましたが、なぜ価値があるのかはまだ不明です。一説によるとみんながお金に価値があると思っているから価値があるというものがあります。しかし、これだとなぜみんなが価値があると思っているのかが不明です。どうやってみんなに価値があると思い込ませたのでしょうか?

あるいは、日本政府が保証しているからというのものもあります。これは半分当たりなのですが十分ではありません。答えは・・

日本政府がお金で税金を納めることを保証しているから。というものになります。

税金をお金で納めるのは当たり前じゃないかと思われたかもしれません。

しかし、江戸時代の年貢はお米でしたし、もっと前は地域の特産品を納めたりもしていました。確定申告で税務署にお米を持ち込んでも受け取ってはくれないでしょう。ここからが頭の体操の部分になります。

お金に価値があるから税金をとるのではなくて、お金でしか税金を受け取らないことでお金に価値が発生します。

混乱してきましたか?

頭の体操ですので、よく考えてみましょう。

どういうことか年貢のお米を例に考えてみます。

江戸時代は農民はお米で年貢を納めていました。武士はその年貢米を給料としてもらっていたわけですが、コメというのは持ち運びが悪くて不便です。農民にしても、大八車に俵を山盛りにして奉行所まで運び入れるわけですら、大変な負担のはずです。そこで、幕府はコメ引換券を発行して、給料として武士に渡したとします。武士は米引換券を農民に渡して米をもらいます。

農民には、あらかじめ年貢はコメ引換券で納めるようにお触れを出しておけば、武士が来た時もすぐにお米を渡してくれるはずです。コメ引換券を使うことで、武士や農民が重いお米を運ぶ負担が減ります。それと同時にコメ引換券はいろんな取引にも使用されるようになります。年貢を納めるときに必要になるものですから、多くの人が欲しがるようになるわけです。コメ引換券がお金になります。

これが日本政府がお金で税金を納めることを保証しているということです。

江戸幕府が本当にコメ引換券を発行したわけではありませんが、お金の仕組みを説明するためのたとえ話だと思ってください。

日銀(政府)が発行したお金を、自らが税金として引き取ることによってお金に価値が生まれます。

もし、明日から税金は米で納めるようになったら、お金は紙くず(硬貨は金属片)になるでしょう。

それはそうです。政府が税金はお金で納めることを保証していたにもかかわらず、いきなり米に変えられてしまったら納税に使えなくなるわけですから。

お金を作り出せる政府がお金に困ることはありません。

税収が足りないからと言って、増税をする必要はないのです。なぜなら、お金を作って使えばいいわけですから。

そんな都合のいい話があるわけがないと思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、今までの話の中でお金は政府が作り出せるというのはご理解いただけたと思います。

消費税が不要な理由

もちろん、お金を作り出すにしても限界はあります。

例えば、コメ引換券を発行しすぎて、農民が引き換えに応じなくなっている場合などです。

年貢用の引換券は十分に持っていて、残りの米は自分たちで食べようと思っていれば引換には応じないはずです。

ただし、今までよりも多めに引換券をくれれば考える農民もいるでしょう。

これがインフレです。お金を発行しすぎると価値が目減りしてしまうので、物価の上昇招くのです。

毎年とれる米にも限りがありますので、コメ引換券をむやみに発行するとコメ引換券自体の価値が下がります。

つまり、お金を発行するときに注意しないといけないのは物価の上昇率なのです。

この世に魔法の杖はないということですね。そんな都合のいい話があるわけがないと思った方の直感は正しいのです。

ただ、今の日本の物価上昇率は1%もありませんし、もしかしたらデフレになるかもしれないという予想もあります。

なので、社会保障などの予算が足りなければ、増税ではなく、お金を発行して使うことが望ましいです。

消費税増税が不要なただ一つの理由は、日本の物価上昇率が低いから

ということになります。

ところで、さっきのコメ引換券を発行しすぎてインフレになった場合はどうしたらいいでしょうか?

鋭い方はもうおわかりだと思いますが、2つの解決方法があります。

一つは発行を抑制することで、もう一つは税金をあげることです。

ふたつ同時に行えば効果的にインフレを抑制することができますね。


相模原事件から考える義務と権利意識

社会

相模原事件の犯人の植松被告の精神鑑定が行われて、パーソナリティー障害という診断がでたそうです。
植松被告の主張は障害者はお荷物であり生きていてもしかたがないというもので、誠に身勝手な主張なわけですが、ネット上では賛同する意見などもみられ、少しこの事について考えてみました。

植松被告は参議院議長に障害者を邪魔者として排除するような手紙を送っています。働けず税金を納めることもできず、ただ他人の手を煩わすだけの存在ということが、ネット上での賛同を集めた理由のひとつと考えられます。

効率や採算だけを見た非情な意見ですが、今の日本を見ると、どうもこのパーソナリティー障害の植松被告が起こした特殊な事件で済まないのではないか、という気がしています。

すべての人には生きる権利があって、これを真っ向から否定しているわけですから正当性はありません。しかし、人の手を煩わせこの先良くなる見込みもないとなればどうでしょうか。確かに生きる権利はあるのかもしれないが、なんの義務も果たせない人を無駄に生かしておいていいのか?と続くわけです。

これにはひとつ大きな勘違いがあります。権利は義務を果たした者の特権であるという認識です。権利を主張するなら義務を果たせとはよく言いますが、本来、義務と権利は別のものです。税金を人の2倍納めたからといって選挙で2票あるわけでないですし、働いていないからといって生きる権利がないわけでもありません。

しかし、この二つはセットで捉えられるようです。そして、義務は美徳であり権利を主張するものはさもしい、といった価値観が以前に比べて浸透してきている感じがします。本来、別個のものであるにもかかわらずです。義務を果たしたものが控えめに権利を主張する、というのが作法のような空気すらあります。

去年、衆議院本会議で自衛隊、海上保安庁、警察を讃えて拍手を贈るという光景がみられました。国防や治安の維持はまさに国民が果たすべき義務の最たるものです。ここでは義務がこれでもかとでもいわんばかりに賞賛されています。

相模原の事件と衆議院で起こった拍手は義尊権卑とでもいうような、同じ思想の裏表でしかありません。権利への卑下と義務の賞賛です。

人権屋という言葉が示すようにも、もはや権利を主張するのは卑しいことになっているようです。労働組合が下火になり、日本でストが見られなくなっているのもその一つです。ストライキは労働者の権利です。しかし、実行することには社会的な理解が得られなければ難しいでしょう。今の日本では権利を主張することは難しくなっています。

日本人全員が必死に堪えているなかで、そこから抜けて権利を主張するのは卑しい行為なのです。

賃金が上がらなければデフレは脱却できません。こういった痩せ我慢が、組合の弱体化と経済の悪化を招いたと言っても言い過ぎではないでしょう。

日本人は義務はほどほどに、もっと権利を主張すべきだと思います。そうすれば経済も今よりまた違った景色が望めるはずです。