貨幣を考えない経済

経済というとお金を考えがちだが、ここはお金を考えないマネーレス経済を想定していただきたい。みなさんの大好きな物々交換がいいだろう。お金を抜きにすることでよりクリアに問題を観察できると思う。

日本の生産性は非常に高く、日本人が必要とするものはだいたい日本人自身で作り出せる。輸入のトップスリーは石油とLNG(液化天然ガス)、繊維だ。繊維にしても輸入品に国産が押された結果であって、国内で生産できないわけではない。いまでも高級タオルは国産であり肌触りもいい。

エネルギー以外はほぼ自分で作れてしまうだろう。

生産性の高さゆえにものが有り余っている。食品は輸入に頼っている部分が大きいが、日本の労働人口の2%程度しか農業に従事していないことを考えると、100%の自給も十分に可能だろう。

働ける人は自分の生産物を市場で取引して欲しいものが手に入る。しかし、高齢者や病気で働けない人は、何も生産していないがゆえに市場で必要なものを手に入れることができない。いわば、経済から取り残された人だ。国内的に見た場合はものが余っているが、一方では経済活動からはじき出される人もいる。

また、貧乏というほどではないかもしれないが、非正規雇用の拡大で地味な貧困が拡がっている。生活に余裕がないという人も少なくはない。消費しきれないほどの物資を大量にしまい込んだ倉庫がある一方で、うっすらとした貧困が日本を覆っている。

消費しきれないものがあるから輸出するというがちょっとまってほしい。国内には貧困があるのであり、潜在的な需要があるのにわざわざ海外に輸出してしまうというのはどうなんだろうか。自動車を懸命に輸出しようとしているが、国内の車離れの若者は本当に車から離れてしまったのだろうか?

冒頭に繊維を輸入している話をした。技術的にはローテクであり、作るのが難しいことなどない。にもかかわらず輸入をしている。一方では国内に需要があるものを海外に輸出しようとしている製品もある。

いっそのこと国内で繊維を作って自動車と交換するわけにはいかないのか?という疑問がわく。国内でトレードを完結させるわけだ。TPPとは真逆の保護貿易ということになる。

保護しておいて自分だけバンバン輸出するのはフェアではないが、この場合は輸出も控えるので鎖国といっても良いかもしれない。江戸時代に長い鎖国を行っていながら、黒船から明治維新の変わり身の早さをみると、必ずしも鎖国は内向きな後退を意味するものではない。少なくとも江戸時代は国内循環型の経済によって日本は発展してきた。

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