そもそも経済とは

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国家と経済

経済を考えるときに、どうしても避けては通れない要素がお金です。お金はどこからやってくるのか?お金になぜ価値があるのか?

こういった基本的な部分を抜きに、経済を考えようとしてもうまく考えがまとまりません。経済を考えるには事前にお金の本質を理解しておこう、ということです。お金のことを理解するにはまず、日本という国を理解する必要があります。国家とはなんでしょうか?

Wikipediaによるとつぎのようにあります。

国家(こっか)とは、国境線で区切られた領土に成立する政治組織で、地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。 領域と人民に対して排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体である。

国家とは政治的共同体とあります。共同体というのはお互いの利害を共にして助け合う集団です。

地震などの災害が起これば被災した人を助け、歳をとって働けなくなれば年金を給付して生活を支えます。助け合うのは共同体の一員としての義務であり、また自分が困った状態になったときには助けてもらえるということでもあります。

共同体全体の利害調整を行うのが政府です。政府が音頭をとりながら、インフラ整備や治安維持といった行政サービスを行います。

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お互いに助け合うのが共同体ですが、ボランティアのように緩いものではありません。国によっては徴兵制があり、逃げたりすると重い罪に問われます。

みんなで必死に国を支えているのに、一人だけ逃げられたらたまりません。国家というのはある意味、血の掟で繋がった共同体とも言えます。

共同体に属する以上、公共的な仕事は全員の役目なのですが、政府は1つのルールを決めました。

それは、政府が発行する券を渡せば、公共の仕事をキャンセルできるというものです。この券は公共の仕事をした人に対して対価として渡されます。

ある程度、公共の仕事をすれば、それ以上はその券を使用することで減免されることになります。大量に持っていれば一切公共の仕事をする必要はありません。この券が紙幣です。

2年間の兵役もしくは100万のどちらかを、政府に求められるとしたらいかがでしょうか。徴兵制をお金で回避するのは倫理的に問題がありますが、お金の本質を表しています。

紙幣のもつ価値というのは、元をたどると共同体の一員としての義務を回避できるところにあります。公共の仕事の代わりにお金を支払って、国民の義務を果たすのが税金です。

公のために汗を流すのは尊いことですが、できれば休みたいのが人情です。公共の仕事以外に本業もあるので、みんなそれなりに忙しいはずです。本業が農業なら、生産した野菜と紙幣を交換する人もでてくるでしょう。本業に集中して、公共の義務は税金で支払うことが一般的になっていきます。

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政府はお金を発行しつつ、徴税によってお金を回収することで、国内経済を成立させています。通貨発行権と徴税権2つセットで行使することで、紙幣による経済が動き出すわけです。

政府が通貨発行すると説明しましたが、厳密には日本銀行が通貨発行や税金の管理を行っています。お札に日本銀行券と書いてあるのはそのためです。

政府支出と税収

政府は毎年、税金を徴収して予算を組んで支出します。基本的に税収より支出が多くなるように、毎年予算を組みます。もし、支出より税収が多いと、世の中から通貨が無くなることになります。政府は日本で唯一の通貨発行主体ですので、支出よりも税収が多ければ、いつか世の中からお金は無くなります。

単年度では支出<税収となることもありますが、基本的には支出>税収になります。このあたりが一般の家庭や企業と異なるところです。サラリーマン家庭が支出>収入といったバランスで生計を立てるのは不可能です。政府は不足額を通貨発行によって賄っており、その額は毎年10兆円を越えています。

実際には日銀が通貨発行を行っていますので、政府は国債を発行して日銀の用意した通貨と交換することで現金を調達します。これを日銀による直接引き受けといい、政府は通貨を得て日銀は国債を保有することになります。直接引き受けを財政ファイナンスと言ったりすることもあります。

政府は支出>税収を達成するために日銀による通貨発行と、市中の金融機関からの借り入れによって賄っています。

鋭い方はこう思うでしょう。

ある程度世の中にお金が回り始めたら、あとは支出と税収は同じくらいで良いのではないか?

確かにそんな気もしますが、以下の理由で出来ないようになっています。

経済活動を継続していくと資産が増える人、減る人、変わらない人がでてきます。国民全員が同額の資産を所有していれば、頭割りで徴税すればよいのですが、経済活動を続けるにつれて差がついていくので、中には支払えなくなる人がでてきます。

毎年、一定額の予算を執行するなら、払えない人の分はたくさん資産を保有している人に負担してもらわなくてはなりません。税金は平等に徴収するべきだ、とするなら政府の税収は徐々に減ることになります。支出=税収という前提であるなら、税収が減れば支出も減らさざるをえません。

政府の支出が減ると行政サービスが滞ることになるので、国民生活の質の低下を招くことになります。

そうはいっても支払えない人の分の税金まで、たくさん持っているがすべて負担するというのもおかしな話です。以上のことから支出=税収にしようとすると、お金持ちに重税がかかるか、行政サービスが貧弱になってしまうという問題がでてきます。

行政サービスの質を落とさずに、平等に徴税するにはどうしたらいいでしょうか?

答えは支出>税収にしてしまうことです。不足する予算は日銀による通貨発行で穴埋めします。毎年、世の中に出て行くお金が増えますので、徐々にインフレになります。インフレというと悪者のように思われがちですが、国民経済を成立させる一つの知恵です。

そしてインフレに

昔は大卒の初任給が1万円だった時代もあり、徐々にインフレが進んで今の水準になりました。税負担の平等性を考慮しつつ行政サービスを維持していくなら、今後もインフレが進んでいくことになります。

物価が上昇すると相対的にお金の価値が下がることになるので、お金を大量に持っている人にとっては好ましいことではありません。平等な徴税と行政サービス維持のために通貨発行を行いましたが、実はインフレはお金を持っている人にとっては負担なのです。実質的に税金を払っているのと変わらないために、インフレ税と言われています。

財政政策は、このインフレと税負担の公平性、行政サービスレベルのバランスをいかにとるかということが言えます。

行政サービスレベルが十分でインフレが進んでいれば富裕層にとって負担になりますので、税金を公平に徴収しつつ、財政支出を減らすことによって物価上昇率を下げる必要があるかもしれません。行政サービスの質が低く物価上昇率が低ければ、通貨発行によって政府支出を増やすか、富裕層の負担を増やす必要があるかもしれません。

難しいのはバランスの取り方に正解がないということです。インフレと行政サービスレベルと税の公平性は密接に関連していますが、これといった正解はないのです。3つのバランスはどのような世の中を私たちが望むか、政治的に決まることになります。

コメント

  1. 財政ファイナンスが、実質的には行われているという理解で合っていますでしょうか。

    1. コメントありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ありません。

      >財政ファイナンスが、実質的には行われているという理解で合っていますでしょうか。

      満期が来て借り換えが必要になったものに限ってですが、日銀が借り換えに応じています。
      平成31年度中に満期を迎えるものについては2兆2,000億円直接引き受けをするようです。
      https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/trans/index.htm/

      日銀の金融緩和にしても、政府が発行した国債を銀行経由で日銀が買い取っていますので、
      間接的な財政ファイナンスということが言えます。

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