植民地と自由貿易

あけましておめでとうございます。

去年は1日に2、3件のアクセスでしたので、今年はより多くの人に見ていただけるよう更新していきたいと思います。

1930年代の世界的不況を原因とした列強による植民地支配と、今の世界的な景気の低迷は似通ったところがある。市場が飽和してもはや外に打って出るしかないという思い込みは昔と変わっていない。植民地の役割は国内の需要不足を補うための売り込み先だ。国内では売れないので、海外に輸出しようといものだ。

酷いものになるとイギリスが中国へアヘンを売ったように、とにかくなんでもいいから強制的に買わせるというのが植民地の本質だろう。アヘンであれば中毒になれば全財産をはたいてでも欲しいで間違いなく売れる。そのため、植民地には必ずといっていいほど外交権や関税自主権がない。

保護国なども植民地の一種なのだが、内政的には自由なわりに外交や貿易に関する主権がない。それもそのはずで、ものを買わせるのが植民地の目的の一つだからだ。戦前の満州建国などもその一例だ。

1929年に起こった世界大恐慌が起こるとアメリカは保護貿易に走って日本からの輸入をやめてしまった。イギリスも植民地を中心としたブロック圏を作ってその中だけで完結する経済体制をとる。

ある程度の国際的な分業体制が作られつつあった世界で、急に自分の所だけで完結する経済体制になってしまうと、工業だけとか農業だけといったような国はやっていけなくなる。紛争が起こると経済制裁というのは初期対応としてよくあることなので、偏った産業しか育成していない国は途端にやっていけなくなるのだ。

当時日本は生糸などを輸出してこまごまとした貿易を行っていたが、それでもこのブロック経済やアメリカの保護貿易によって不景気になる。満州進出の大きな理由の一つは経済的な理由だった。満州には多くの日本人が新天地を求めて入植していった。

今のTPPの議論においても、景気回復には外需を増やして景気回復するという発想が根底にあり、かつての満州建国のころと基本的な発想は変わっていない。国内で売れなければ外国へだ。その行き着く先が植民地や自由貿易(貿易黒字になるかどうかもわからないのに)ということになった。

市場の飽和に対してなにか打つ手はないものだろうか。問題は失業であり貧困だ。20世紀初頭のころと今とで、同じ発想ではなんだか危ういような気がする。

 


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